河北省承徳市 
Hebei sheng Chengde shi 
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都市名
  承徳市。清雍正十一年(1733年)、康熙皇帝が80歳を迎える日に、雍正帝が「康熙帝の徳政を継承する」との意味で承徳と改名した。清の皇帝の夏の避暑地、政務を行っていた場所である。昔、皇帝がいた場所は美人が多いらしい。美女を集めたためか、その美貌が子孫まで受け継がれていると言うことらしい。
  石家庄から夜行列車に乗って承徳に向かうが、だんだん寒くなって眠られなくなる。朝5時頃到着したのだが、まだ10月中旬なのに気温は零下。さすがに避暑地だけあって夏は涼しい分、冬は寒いのだろう。数日前蘇州に居たときはまだ30度近くあったのに...。朝早いのでホテルも開いていない、仕方ないので食堂で暖をとりながらラーメンをすする。
  避暑山庄の入り口で、とんでもないものに遭遇。乞食はどこにでもいるのだが、デコを叩いて涎を垂らすやつ。乞食をするのはいいけど、不気味で汚いのだけは勘弁してくれ...。(2000年10月)

避暑山庄 Oct. 2000
Bishu Shanzhuang
thumbnail 承徳は山に囲まれ、高度が高いために涼しい。そのため清代皇帝の避暑地、政務の場所として使われた。康熙四十二年(西暦1703年)から造成が始まり、乾隆五十七年(西暦1792年)には110を超える建物、564万平米の離宮となった。
避暑山庄 Oct. 2000
Bishu Shanzhuang
thumbnail 上帝閣。避暑山庄には康熙三十六景と乾隆三十六景と呼ばれる、美しい風景を見ることが出来る。
磬錘峰 Oct. 2000
Qingchuifeng
thumbnail 承徳のの至る所から見ることができ、洗濯棒に似ていることから棒錘山とも呼ばれる。磬錘自体の高さは38.29m、重さは約16,200トン。避暑山庄の康熙三十六景の第十二景「錘峰落照」にもなっている。
普陀宗乘之廟 Oct. 2000
Putuozongshengzhimiao
thumbnail 清乾隆帝60歳と皇太后80歳を祝い、少数民族の王侯貴族を招くために4年をかけて建造された。モデルはラサのポタラ宮。普陀宗乘はポタラの漢訳。
避暑山庄 Oct. 2000
Bishu Shanzhuang
thumbnail 永佑寺舎利塔。清乾隆帝が南方を巡見したときの杭州の六和塔、南京の報恩寺塔を見本に、乾隆十九年(西暦1754年)建築された。高さ約65m。塔の前には清皇帝が祖先を祭るために乾隆十七年(西暦1752年)に建造された永佑寺があった。
普楽寺 Oct. 2000
Pulesi
thumbnail 清乾隆三十一年(西暦1766年)に建造。主に西北に居住する巴爾喀什湖付近のカザフ族、葱嶺以北の布魯特族と清朝の関係を保つために利用されていた。
普寧寺 Oct. 2000
Puningsi
thumbnail 清乾隆二十年(西暦1755年)から3年をかけて建造され、漢とチベットの寺廟を総合した形式になっている。
普寧寺 Oct. 2000
Puningsi
thumbnail この大乘之閣は6層36.75m、閣内には高さ22.23m、松、柏、杉、楡(ニレ)、椴(シナノキ)の5種類の木材を使って建立された、中国国内で現存する最大規模の木製仏像の一つである、千眼千手観音像が祀られている。

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