河南省鄭州市 
Henan sheng Zhengzhou shi 
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都市名
  鄭州市。河南市の省会。市内には商代の遺跡が多く残るが、これと言って特に面白いものがあるわけでもない。なので移動の中継点としての街という印象しかない。(2001年4月)
二七記念塔 May. 2001
Erqi Jinianta
thumbnail 鄭州の中心地に建つ。1923年2月4日、軍閥呉佩孚の支配下で苦しむ商人、工人達が、共産党員林祥謙、施洋のもとストライキを起こすが、2月7日に武力鎮圧される。記念塔は1971年、建造。高さ63m。
商代遺址 May. 2001
Shangdai Yizhi
thumbnail 1955年に7kmにおよぶ商代前期の城壁が発見される。商王朝の重要な都市の一つ邑の遺跡。大量の建物や井戸の跡、銅器、石器、骨器、玉器なども発掘された。

都市名
  鞏義市。中心地は紫荆路街道。鄭州から偃師へ行こうとバスを探したが見つからず、仕方ないので途中にある街、鞏義まで来た。到着したのは日が暮れてから。真っ暗なのでバスターミナルの横の宿に宿泊。向かいの食堂で牛肉麺とチャーハンを食べる。次の日、せっかく来たので石窟と永昭陵へ行った。永昭陵は改装中で、陵墓の方へは入られなかった。ぐるっと一回りしたが、宏大な敷地でかなり時間がかかった。そのあと宿に荷物を預けたまま偃師へ。戻った後は温縣へ向かった。(2005年11月)
鞏縣石窟 Nov. 2005
Gongxian Shiku
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董卓首塚 Jun. 2008
Dongzhuo Shouzhong
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永昭陵 Nov. 2005
Yongzhaoling
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顔良墓 Jun. 2008
YanLiang Mu
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都市名
  滎陽市。中心地は索河街道。2005年に一度、虎牢関まで訪れているのだが、その先にまだ呂布城なども残っているとのこと。再び訪れることにした。汜水に到着したのは夕方。近くの安宿に宿泊することにして、荷物を置く。それから虎牢関へ。2005年に来たときとは、見違えるほど変わっていた。ここをこれだけ開発してもどれだけの観光客が来ると言うのだろう。さて、人民に聞き込みをしながら呂布城を目指す。そしてなんとか到着。そして帰り道は、白馬鎖を探しながら。民家の敷地内にある白馬鎖、中へ入れて貰うと人民強欲ババアが金をせびってくる。たぶん以前訪れたやつが適当に金を渡したんだろうな。それ以来味を占めたってことか。(2008年6月)
虎牢関 Nov. 2005
Hulaoguan
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呂布城点将台 Jun. 2008
LüBu Cheng Dianjiangtai
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虎牢関 Nov. 2005
Hulaoguan
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白馬鎖 Jun. 2008
Baimasuo
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都市名
  新密市。中心地は青屏街道。2011年正月旅の最終地となった。本当は隣の新鄭市で終わりにしようと思っていたのだが、せっかくなので、以前から一度訪れてみたいと思っていた打虎亭漢墓へ行ってみることにした。新鄭から新密への直通バスは、一日二本で乗り継ぎならたくさんあるのだが、面倒なのでタクシーに乗ることにした。新密に到着後、そのまま打虎亭漢墓へ。人気がないので、入られないのかと思ったらちゃんと管理人がいて入ることができた。特に二号墓内の壁画が鮮やかでよかったよ。「金をくれたら写真を撮ってもいいぞ。」と言われたが、あまりにもあからさまだったので止めた。ここはツアーの寄り道地にもなっているが、見応えはあると思う。(2011年1月)
打虎亭漢墓 Jan. 2011
Dahuting Hanmu
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五虎廟 Nov. 2013
Wuhumiao
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打虎亭漢墓 Jan. 2011
Dahuting Hanmu
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五虎廟 Nov. 2013
Wuhumiao
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都市名
  新鄭市。中心地は新華路街道。2011年正月旅は、鄭州空港から深圳へ戻る予定。鄭州へ出てから空港へ向かうより、この街から行く方が楽だろうと思い訪れる。駐馬店からのバス、駐馬店区域を出るまでに2時間もかける。金儲けの為なら客のことはどうでもいいという典型的なバスだった。そして新鄭では高速道路脇で降ろされる。まぁ、もう別に何が起きても驚かないけどね。怒るけど。新鄭にはいろいろと遺跡などがあるのだが、郊外まで行くのも面倒くさい。一番見たかった鄭王陵博物館が改修のために閉館していたのでがっくり。(2011年1月)
鄭韓故城 Jan. 2011
Zhenghan Gucheng
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黄帝轅軒 Jan. 2011
Huangdi Yuanxuan
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都市名
  登封市。中心地は嵩陽街道。洛陽駅前でバスに乗るが、ちょうど五一節の旅行シーズン、人でも多いので普段は少林寺へ行かないバスも観光バスとして運行している。しかしこれらバス、かなりやり方が汚い。まずは片道の客を一時間にわたる大喧嘩の上、無理矢理バスから降ろす。私も片道だったのだが、一番最初に乗って片道料金を払ってしまっていたので降ろされなかった。さらに最初に少林寺へ向かうと言っておきながら、訳の分からない博物館へ。これは乗客全員が参観拒否する。そしてなんとか少林寺へ到着。
  少林寺を見終わって、乗ってきたバスの車掌に「洛陽へ戻ろうぜ」と言われるが無視して、登封行きのバスに乗る。登封市内はバイクタクシーで見て回る。最後は案の定、ぼったくろうとするので、イライラしていた私も怒り爆発で喧嘩。私の中で河南省の印象は最低である。
  少林寺と言えば、子供のころテレビで「少林寺三十六房」などの拳法映画が印象に残っている。今回は時期柄人、人、人の山。ゆっくり観ることもできないくらい。ちなみに少林寺の「少」はShaoの4声が正しい。バスの客引きなどは3声で発音していることもあるが、間違い。(2001年5月)

嵩山少林寺 May. 2001
Songshan Shaolinsi
thumbnail 北魏太和十九年(西暦495年)に創建。孝昌三年(西暦527年)インド僧達磨が禅宗を開き始祖となる。唐代初期頃から少林寺の僧徒は常に拳法を学ぶようになる。
少林寺塔林 May. 2001
Shaolinsi Talin
thumbnail 少林寺歴代和尚の墓地。現存するのは唐代から清代までの220数座の墓塔。邵元撰書の日本僧照公和尚塔やインド僧就和尚塔などもある。
嵩陽書院 May. 2001
Songyang Shuyuan
thumbnail 原名は嵩陽寺。北魏太和八年(西暦484年)創建。宋代に現在の名となり、宋代の著名な書院の一つ。紀元前110年に漢武帝が嵩岳を訪れた時に三本の大柏を見て大将軍、二将軍、三将軍に封じて以来、2千年以上の歴史がある。
武術学校 May. 2001
Wushu Xuexiao
thumbnail 少林寺周辺には多くの武術学校があり、子供達が一生懸命に練習している。剣術、棒術、拳法などいろいろあった。
嵩岳寺塔 May. 2001
Songyuesita
thumbnail 嵩山太室山南麓の嵩岳寺内にあり、北魏正光元年(西暦520年)創建。中国に現存する最古のレンガ造りの塔である。十二角形、15層、高さ約40m。1500年近く過ぎても建っている。
中岳廟 May. 2001
Zhongyuemiao
thumbnail 少林寺歴代和尚の墓地。現存するのは唐代から清代までの220数座の墓塔。邵元撰書の日本僧照公和尚塔やインド僧就和尚塔などもある。

都市名
  中牟縣。中心地は廣惠街街道。もうここは官渡古戦場しかないでしょう。三国志好きにとっては一種の聖地。以前は、調子に乗って過剰な観光設備を建てたはいいものの、今となっては廃墟と化している残念な場所。それでも曹公台の曹操像などは健在で、一度は行っておくのもいいと思っている。いつ消滅してしまうかもわからないから。鉄柵などは、行くたびに消えていっているしね。街から歩いていくとかなり大変で、バスに乗って近くのロータリーで降りるのがいい。(2005年11月)
官渡古戦場 Nov. 2005
Guandu Guzhanchang
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官渡寺 Nov. 2005
Guandusi
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曹操栓馬槐 Nov. 2005
CaoCao Shuanmahuai
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漢井 Nov. 2005
Hanjing
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