四川省成都市 
Sichuan sheng Chengdu shi 
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都市名
  成都市。今回の旅の最初の目的地、成都。蘇州から列車に乗って30数時間でやっと到着。まずは寝る場所を確保するためにホテルへ。実は今回初めてドミトリーに泊まるのであった。思っていたより居心地はよかったなぁ。ここを起点に九寨溝や峨眉山へも行ったりしたので、けっこう長居してしまった。同じドミトリーに居た人たちはほとんどがチベットへ向かうようで、四川省でうろちょろしていたのは私だけだったのかも。成都市内では相変わらず路線バスに乗って観光する。8月上旬だったけど、それほど暑くもなく過ごしやすかった。(2001年8月)
武候祠 Aug. 2001
Wuhouci
thumbnail 西晋末に李雄が丞相諸葛亮を記念して建設。明代初期に隣接する先主劉備を祀る昭烈廟と合併される。現存の建物は清康煕十一年(西暦1672年)に再建されたもの。著名な文物として、唐代三絶、尹黙「隆中対」の木刻、岳飛「出師表」木刻などがある。
昭烈帝墓 Aug. 2001
Zhaoliedi Mu
thumbnail 武候祠と同じ敷地内にある先主劉備の墓。「恵陵」とも呼ばれている。君主と臣下が一緒に祀られるのは非常に珍しい。それほど劉備と諸葛孔明の間柄が密接だったということだろう。
青羊宮 Aug. 2001
Qingyanggong
thumbnail 唐代創建の道観。殿内の羊の銅像は十二支の化身とされ、鼠耳、牛鼻、虎爪、兔背、龍角、蛇尾、馬嘴、羊髭、猿首、鳥目、犬腹、猪尻の奇怪な姿。
川戯 Aug. 2001
Chuanxi
thumbnail 四川劇で最も有名なのはこの「変臉」だろう。次から次ぎへとあっという間に顔が変わる。また火を噴いたり、コミカルな劇を演じたりする演目もある。
パンダ Aug. 2001
Daxiongmao
thumbnail パンダの故郷四川省に来て、せっかくなので成都動物園へパンダを見に行く。あいにくの雨でパンダも木の上でお休み中らしい。
成都大熊猫繁育研究基地 Oct. 2003
Chengdu Daxiongmao Fanyuyanjiujidi
thumbnail 成都郊外に造られたパンダの繁殖と飼育を研究するための基地。たくさんのパンダが飼育されており、子パンダや赤ちゃんパンダも見ることが出来る。パンダを見るならここがお薦め。
新都宝光寺 Jan. 2003
Xindu Baoguansi
thumbnail 新都区。東漢代に創建、隋代は大石寺と呼んだ。唐廣明元年(西暦881年)黄巣起義時に長安が破れ、唐僖宗がここまで逃れ廟宇を修復、宝光寺と改名する。明代に荒廃、清康煕九年(西暦1670年)に再建。南朝代の石刻千佛碑や、清代の五百羅漢などが残る。
洛帯鎮 Jul. 2002
Luodai Zhen
thumbnail 龍泉驛区。明代末期から清代初期にかけての移民運動と「湖廣填四川」によって、異郷の客家人が洛帯鎮に根を下ろす。写真は廣東会館、またの名を南華宮。
杜甫草堂 Aug. 2001
Dufu Caotang
thumbnail 唐代の詩人、杜甫の成都宅址。杜甫、字は子美、安史之乱以後、唐乾元二年(西暦759年)に成都へ。友人の助けにより草堂を建て、4年近く過ごしたとされる。この場所で240首に及ぶ詩を作り、名篇「芽屋為秋風所破歌」もここで創作された。
永陵 Aug. 2001
Yongling
thumbnail 五代前蜀、王建の陵墓。前蜀光天元年(西暦918年)に建造。棺床の周囲に彫られた、24人の琵琶、筝、笙、鼓、笛などを奏でる宮廷楽隊などがみもの。
文殊院 Aug. 2001
Wenshuyuan
thumbnail 南朝時に創建、現在の建物は清康煕三十年(西暦1691年)のもの。同じく康煕年間に海月法師が文殊菩薩の化身と言われ、文殊院と改名した。
川戯 Aug. 2001
Chuanxi
thumbnail でも見ればすぐに種は分かるはず。最初に登場したときの顔が異様に大きいのはご愛嬌と言ったところか。はは。
レッサーパンダ Aug. 2001
Xiaoxiongmao
thumbnail こちらも成都動物園。雨の中をちょこちょこと歩み寄ってきたレッサーパンダ。なんだかこっちの方が愛嬌があって可愛いな。
八陣図遺址 Sep. 2003
Bazhentu Yizhi
thumbnail 青白江区弥牟鎮。成都の「北門鑰匙」と呼ばれるこの地は、かつて諸葛孔明が軍を駐屯させ屯田や演習を行った。水陸八陣のうちの陸の八陣の一つ。しかし現存する部分は少なくなった。
桂湖碑林 Jan. 2003
Guihu Beilin
thumbnail 新都区。桂湖は明代の文学家楊昇庵が青年期まで学問を行った場所。その畔にはもと新繁縣龍藏寺の石碑が移された碑林が設けられ、三国志関連では「征西将軍馬超墓碑」「威侯馬公墓誌」「新都縣八陣図記」などの碑も収められている。
洛帯鎮 Jul. 2002
Luodai Zhen
thumbnail 川北会館。洛帯鎮にはこのほかに、江西会館、湖廣会館が残る。これらは清代に同郷の客家人が、資金を出し合って建築した同郷会館である。

都市名
  都江堰市。中心地は灌口鎮。成都はなかなか居心地がいいので、ついつい長居をしてしまった。どこへも行かないのは勿体ないので、郊外の都江堰市へ。成都からバスに乗って到着。まずは同じターミナルから青城山へ行くバスに乗る。青城山は前山と後山があって、どちらへも行けるが、今回は前山へ。山登りは苦手なのでロープウェイで登る。が、これがまたくせもの。乗り場へは池を渡る有料の船に乗らないと行けない。これはいくらなんでも反則だろう。
  青城山からまたバスでターミナルへ戻る。ここは丁寧に何番の路線バスに乗れば都江堰へ行けますよという案内板があったので、その通り路線バスに乗る。ここでもしっかりと学生証を見せて割引料金で入場。歩いて都江堰を一回りしてみる。(2001年8月)

都江堰 Aug. 2001
Dujiangyan
thumbnail 都江堰は魚嘴、飛沙堰、宝瓶口の3部分からなる。中瀬の右の方が魚嘴、ここで岷江の流れが外江と内江の2つに分けられる。内江は宝瓶口の方へ流れる。
都江堰 Aug. 2001
Dujiangyan
thumbnail 荒れ狂う岷江を治めるためと、その水を利用するための中国古代創建の巨大な水利工程として、また現在でも機能していることで内外にも有名である。
青城山 Aug. 2001
Qingchengshan
thumbnail 海抜1600m。東漢末に道教の創始者張道陵がこの山へ来て壇を設け、布教を始めた。晋唐代には宮観が多く建てられ、最盛期には100以上あったとされる。
都江堰 Aug. 2001
Dujiangyan
thumbnail 宝瓶口。内江からの流れはここで用水路に振り分け、水は川西平原へ送られ、灌漑用水として利用される。
二王廟 Aug. 2001
Erwangmiao
thumbnail 都江堰を起工した戦国秦昭王時の蜀の群守李冰と、工事を引き継いだその子二朗を祀った廟。南北朝代に創建、もとの名は崇徳祠。宋代以降、歴代の王朝が李親子を王に封じたので、清代には二王廟と呼ばれるようになった。
青城山 Aug. 2001
Qingchengshan
thumbnail 上清宮。晋代に創建、その後荒廃したが、五代王衍が再建、明代にまた火事で荒廃、現在の建物は清同治年間に建てられた。大殿には李老君像が祀られている。

都市名
  彭州市。中心地は天彭鎮。この街へは数回来ることになってしまった。その目的は、ネットで見かけた三国史跡「張松墓」を探すためである。実は牡丹で有名な丹景山のページに地図があり、そこに張松墓の位置が記載されていたのだが、実際に行ってみるとかなり山の中にあり、道に迷うこと数回、なかなか到達が困難であった。しかし、到達してみると墓がある村まではタクシーでも行けるし、街からの道もあり、山道を歩いて来る必要はなかったのだ。村へ到着後、何人かの地元の人たちに聞いて、探すが見つからず。最後は近くの農家のおばちゃんにお願いして案内してもらった。村の人達は優しい人が多いのかな。感謝してます。(2003年10月)
魯班廟 Oct. 2003
LuBan Miao
thumbnail 姓は公輸、名は般。魯国(現在の山東省)の人。般と班は同じ発音で魯国人のため魯班と称される。紀元前507年頃の生まれ。木工工具など多くを発明した人物で、今でも崇められている。
三昧水石碑坊 Nov. 2003
Sanmeishui Shibeifang
thumbnail 摩崖造像の傍ら、清同治年間の建造。牌楼は3層、正面には「三昧水」と書かれ、上部には「天重宝蓋」「地涌全泉」「盛唐古迹」「古井泉香」などの扁額がかかる。ここをくぐり登っていくと下三昧安国寺、中三昧至徳寺、上三昧水亭寺にたどり着く。
張松墓 Nov. 2003
ZhangSong Mu
thumbnail 張松、字は永年。益州繁縣豊楽場(現在の彭州市桂花鎮豊楽場)の生まれ。益州王劉璋のもと、別駕を務める。劉璋の腐敗無能を嘆き、劉備へ蜀を取るように進言、後、劉璋に殺害される。現在の丹景山鎮双松村に松塔寺を創建、寺院内部には地図を手にした張松像、裏山に墓があった。墓跡は現在も残る。
鎮国寺白塔 Nov. 2003
Zhenguosi Baita
thumbnail 正式名称は「無垢浄光法舎利塔」、北宋至和元年(西暦1054年)の建造。高さ34m、菩薩や飛天、孔雀などが浮彫され、塔内の9つの小仏塔に陀羅尼経文が納められている。
三昧水摩崖造像 Nov. 2003
Sanmeishui Moyazaoxiang
thumbnail 現在は石刻造像が37龕残る。1.65mの千手千眼観音など、315尊の佛像および菩薩像が彫られている。開鑿時期は唐代末とされ、宋代にも継続、明清代にも彫られ、彩色された。
悟達国師墓 Nov. 2003
Wuda Guoshi Mu
thumbnail 知玄和尚、洪雅縣の生まれ。唐代、長安に赴いた時に、道教を崇拝する武宗李炎に召されて道教の辯論をするが失敗、蜀に戻る。翌年、武宗が道士の丹薬を飲み死亡。宣宗が即位後、佛教に改宗し、知玄が儒、釈、道教の最高位に封ぜられる。懿宗が即位後、悟達国師となった。隠居後、ここ丹景山に戻る。

都市名
  邛崃市。中心地は臨邛鎮。この街の火井鎮にも三国遺跡があるらしいのだが、なにぶん資料に乏しい。また時間があるときに訪れてみようと思う。で、今回訪れたのが平楽古鎮。古い街並みが残っているが規模はそれほど大きくない。バスや看板には古い地名なのか「平落鎮」と書かれていることが多かった。(2003年1月)
平楽鎮 Jan. 2003
Pingle Zhen
thumbnail 「天府南来第一州」と称される平楽古鎮は、2000年以上の歴史があり、秦漢代の古川南蜀道の一番目の宿場となっていたとされる。史料に正式登場したのは隋代ころである。
平楽鎮 Jan. 2003
Pingle Zhen
thumbnail 平楽古鎮は四川西南の重要な港でもある。老街は大きくなく、福恵街と長慶街、台子壩、草鞋街、糠市街から成り、白沫江に沿って建ち並ぶ。明清代の風格を持った民居建築物が並び、下が店舗、上が住居となっている建物が多い。入り組んだ通りには昔ながらの雰囲気が漂う。

都市名
  崇州市。中心地は崇陽鎮。旅の途中、成都でしばらく休憩したのだが、やっぱり一日中ゴロゴロしてもいられないので、日帰り出来る場所を選んでいろいろと回ってみた。成都近郊の崇州もその中の一つ。(2003年10月)
文廟 Oct. 2003
Wenmiao
thumbnail 四川省に残る保存状態がよい4つの文廟のうちの1つ。明洪武年間の創建、明正徳十一年(西暦1516年)に拡張されたが戦火によって廃る。現存する建物は清康熙年間に再建された。
陸游祠 Oct. 2003
LuYou Ci
thumbnail 陸游、字は務観。越州山陰(浙江省紹興)の出身。南宋の詩人。四川各地、福建、江西、浙江で通判や知州を歴任、光宗が即位後に朝議大夫礼部郎中となるが、賦税軽減を訴え罷免。
罨画池 Oct. 2003
Yanhuachi
thumbnail 罨画は「彩色の画」を意味する。唐代に造成が始まり、宋代に梅、菱、柳などに彩られた名勝となる。陸游が蜀州在任中にここを大変気に入り、多くの詩を詠い残している。
陸游祠 Oct. 2003
LuYou Ci
thumbnail 陸游祠は蜀州通判として赴任したことを記念して建築された。陸游は詩人としての才能も豊かで、1万首にのぼる詩を残している。蜀州の山河を詠った詩も200首以上ある。

都市名
  金堂縣。中心地は趙鎮。この街へ来た目的も三国史跡を探すためである。慈雲寺の境内に「漢后帝読書處石碑」があるとネットで見たので、「よしっ」と気合いを入れて来る。金堂縣に到着後、淮口行きのバスに乗り換え、雲頂山遺址の麓で下車、そこからが地獄の登り道。1時間半ほどかかって、ヘロヘロになりながら雲頂山遺址へ到着。なんとか慈雲寺まで行き、お目当ての物を探すが、見つからない。すると境内にお寺の紹介写真が展示されていた。そこにはお目当ての物の写真が。誰かに聞こうかと思ったが、近くに誰もいない。しょうがないのでさらに境内の奥へ入っていくと、発見! と言っても石碑しか残っていないのだが...。(2003年10月)
雲頂山遺址 Oct. 2003
Yundingshan Yizhi
thumbnail 沱江の畔、雲頂山上の山城跡。伝説では諸葛孔明も兵を駐屯させ守ったとされる。南宋淳佑三年(西暦1243年)、四川安撫制置が蒙古軍の進撃を防ぐためにこの山城を建設した。
漢后帝読書處石碑 Oct. 2003
Hanhoudi Dushuchu Shibei
thumbnail 漢后帝とは劉禅のこと。先主劉備の跡を継いだ劉禅だが、その無能ぶりは言うまでもない。劉禅の幼名「阿斗」は無能の代名詞になっているのだが、その彼がこの場所でどんな書物を読み、勉学したのか。まったくもって謎である。石碑は清乾隆年間に彫られたもの。
雲頂山遺址 Oct. 2003
Yundingshan Yizhi
thumbnail 合川釣魚城、南充青居城、蒼溪大獲城など蒙古軍からは川中八柱と呼ばれた山城の一つ。南宋軍が15年間守り成都府なども置かれたが、咸淳二年(西暦1266年)蒙古軍に占領された。
慈雲寺 Oct. 2003
Ciyunsi
thumbnail 言い伝えでは明洪武年間に、この寺の開山祖師雲華長老が皇帝朱元璋に薬用人参を献げた。それを飲んだ朱元璋は精力が増加、喜んで「明参」という名を下賜した。明参はここの名産となる。

都市名
  双流縣。中心地は東昇街道。日本でも成都近郊の古鎮としてちらほらと名前が出始めた頃、それならと見に行った。新南門バスターミナルから華陽行きに乗って、華陽で黄龍渓行きに乗り換え。直通もある。日帰りも十分にできるところだ。(2002年7月)
黄龍渓鎮 Jul. 2002
Huanglongxi Zhen
thumbnail 成都平原南部、府河下流に位置する古鎮。1700年以上の歴史があり、明清代建築物が残る石葺きの通り7条、3つの古寺院など。また樹齢800年以上の榕樹が6株も残っている。
黄龍渓鎮 Jul. 2002
Huanglongxi Zhen
thumbnail 三縣衙門。衙門とは現在の連合事務機構で、民事や水政、治安維持などを管轄したところ。当時の華陽、彭山、仁寿の3縣を受け持ち、統治のために設けられた。

都市名
  郫縣。中心地は郫筒鎮。成都から路線バスで望叢祠の前まで行ける。実は郫縣には狙える三国遺跡があるのだが、資料がまだ乏しく存在するということしか確認できていない。そのため、次回以降の挑戦としよう。(2003年2月)
望叢祠 Feb. 2003
Wangcongci
thumbnail 正式名称は望帝叢帝祠。古代蜀国の望帝杜宇と叢帝開明を祀った祠。宋代の創建で、清道光年間に再建された。数十畝の庭園内には楼亭、池、殿があり、二帝の陵墓もある。
望叢祠 Feb. 2003
Wangcongci
thumbnail 言い伝えでは、望帝杜宇は民に農業を教え、叢帝開明は治水に優れ、民からの敬愛を受けたという。また杜甫の「杜鵑行」には「古時杜宇稱望帝,魂作杜鵑何微細」とあり、杜宇の伝説が残る。

都市名
  大邑縣。中心地は晋原鎮。大邑と言えば子龍祠、日本の三国遺跡マニアの間では特に有名な場所だ。ただ現在の子龍祠は新しく造られたもので、本来の祠や趙雲墓は文革時に破壊された。ボロボロになった祠は学校の敷地内に残っているのだが、今は頑として見学させないようにしている。(2003年1月)
子龍祠 Jan. 2003
Zilong Ci
thumbnail 日本でも大人気の三国蜀の武将趙雲子龍を祀った祠。静恵山公園の裏山にある。もとは近くの別の場所に趙雲墓と祠があったのだが文革によって破壊され、近年ここに新しく造られた。
望羌台 Jan. 2003
Wangqiangtai
thumbnail 静恵山公園内、子龍祠にほど近い場所に建てられた楼台。趙雲はかつてこの地に駐屯し、羌族の侵入を防いでいた。蜀漢建興六年(西暦228年)諸葛孔明が漢中に進攻、曹真に阻まれて漢中に退いた翌年、成都にて病死。後主劉禅によって銀屏山(ここ静恵山)に葬られた。
劉家荘園 Jan. 2003
Liujia Zhuangyuan
thumbnail 解放前の大地主劉文彩の宅地。現在は陳列館となっており、1965年から作られ始めた解放前の地主が農民を搾取、虐待した場面を再現した大小114体の塑像群が特に有名。
劉家荘園 Jan. 2003
Liujia Zhuangyuan
thumbnail 70余畝の敷地内に、部屋数350余り、老公館と新公館に分けられ周囲は7m近い壁で囲われている。作りは非常に豪華で、楼閣も多く、梁や棟、窓格子には細かい彫刻も施されている。

都市名
  蒲江縣。中心地は鶴山鎮。この街へ来た目的も三国史跡を探すためである。ネットを見ていると「厳顔亭」の紹介があった。それならと蒲江の街まで行く。どうも朝陽湖の近くにあるらしいので、そこからは乗り合いタクに乗って行った。途中、窓の外に見応えのありそうな摩崖造像が見えたので、浮気してそこで降りることにした。そう、飛仙閣の摩崖造像だ。その中をフラフラしていると、「ありゃりゃ? これは?」なんと厳顔亭だったのである。なんともあっさりと、そしていきなり見つかってしまった。なんとまぁ。(2003年1月)
飛仙閣 Jan. 2003
Feixiange
thumbnail 漢代、河南籍の将軍莫公が南征からの凱旋時に立ち寄る。この場所の景色に見とれ、官職を棄て、廬を結び、この場所で修行を行った。後、行を成して鶴に跨り仙人となって飛び去った。
飛仙閣摩崖造像 Jan. 2003
Feixiange Moyazaoxiang
thumbnail 最も早期のものは第60号龕で、唐永昌元年(西暦689年)の開鑿、すでに1300年以上の歴史がある。最も価値が高いのは第9号龕、精巧で美しい。第9号龕内には38尊の造像があり、弟子と護法天龍八部が浮彫にされ、茂る菩提樹の浮彫や線刻された飛天など、典型的な盛唐風格。左の写真は第60号龕。
飛仙閣摩崖造像 Jan. 2003
Feixiange Moyazaoxiang
thumbnail 二郎灘摩崖造像とも呼ばれている。唐代に開鑿された摩崖造像で、現存するのは92龕777尊。唐代の造像64龕、491尊。五代後蜀の造像17龕、256尊。清代の造像11龕、30尊。
厳顔亭 Jan. 2003
YanYan Ting
thumbnail 三国蜀の武将厳顔の名を取った亭。厳顔亭の由来ははっきりしないが、漢文帝の時代(紀元前179年から157年)に南征した莫将軍の遺風を慕っていた厳顔なので、莫公の祀られたこの場所にも亭が建てられたのではないだろうか。厳顔は諸葛孔明と共に南征から戻ったあと、近くの石象寺にて隠居している。

都市名
  新津縣。中心地は五津鎮。この街へ来た目的はただ一つ、以前から気になっていた「先主寺」を訪れることだ。「先主寺? なんだただの寺だろう」と言うなかれ。先主とは劉備のこと。すなわち劉備を祀った寺なのである。以前、ネットでこの寺の情報を得ていたのだが、成都から近いため、そのうち行けるだろうと後延ばしになっていたのだ。
  新南門から新津行きのバスに乗り、到着後「先主寺」へはどう行けばいいのか探ってみる。バスはないようなのでとにかくターミナルを出る。と、すぐ横に面的が並んでいる。よく見ると「先主寺」と書かれている。これに乗って楽々の到達。劉備、関羽、張飛などの神格化された像が並ぶ寺。素晴らしい。(2005年10月)

先主寺 Oct. 2005
Xianzhusi
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純陽観 Oct. 2005
Chunyangguan
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観音寺 Oct. 2005
Guanyinsi
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老君山 Oct. 2005
Laojunshan
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