甲秀楼 Aug. 2002
|
Jiaxiulou
|
その昔、南明河に鰲(伝説の大海亀)に似た岩があり鰲磯と呼ばれた。明万暦年間に南岸との間に堤が築かれ、楼が建てられた。現在の楼は清康熙二十八年(西暦1689年)に再建された。
|
青岩鎮 Aug. 2002
|
Qingyan Zhen
|
城門の内外に3座の石碑坊が残る。明清代の建築物が残る古城内には九寺、八廟、五閣、三洞、二祠、一宮、一院などがあり、慈雲寺の石雕、寿佛寺の木雕などは精巧なものである。
|
鎮山村 Aug. 2002
|
Zhenshan Cun
|
花溪水庫畔の布依族の村。建物は全て石造り。屋根、門、壁、道の全てが石でできている。裕福な家は大きな部屋が4つも5つも並び、さらに裕福な家は四合院の建物もある。
|
|
青岩鎮 Aug. 2002
|
Qingyan Zhen
|
青岩は明洪武六年(西暦1373年)頃、貴陽と定番(現在の惠水縣)を結ぶ道の中間点に、軍の公式文書を送る「鋪」と軍の状況を伝える「塘」が設置され、「青岩屯」となった。
|
青岩鎮 Aug. 2002
|
Qingyan Zhen
|
その後、明太祖朱元璋が雲南、貴州へ遠征時に明の大群がここに駐屯、農民も流入し、「青岩堡」となる。その後、明万暦年間に古鎮の建設が始まり、周囲には石造りの城壁も建てられた。
|
鎮山村 Aug. 2002
|
Zhenshan Cun
|
村の貴重な系図には明万暦年間の「平播」の戦役の後、明朝が派遣した李仁宇将軍がこの地の布依族の班姓の娘と結婚、二子を生み、それぞれ李と班の姓を継ぎ、この村の元となった。
|
|