陝西省咸陽市 
Shanxi sheng Xianyang shi 
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都市名
  咸陽市。西安の空港から近い街。飛行機の待ち時間にちょっと行ってみた。これと言ってなにもない街だったけど。乾陵などにも行ければよかったな...。(1996年8月)
  約6年ぶりに咸陽へ来た。前回は博物館だけだったので今回はいろいろと回ることにする。しかし市区にはこれと言って見所もない。郊外には唐代の陵墓がたくさん残っているのだが、観光用に整備されたところは少ない。(2002年6月)

咸陽博物館 Aug. 1996
Xianyang Bowuguan
thumbnail もとは明洪武四年(西暦1371年)に建築された孔廟。漢代兵馬俑の出土品が展示されている。秦代のものと比べると非常に小さいが、唐三彩風で色鮮やか。
千佛鉄塔 Jun. 2002
Qianfotieta
thumbnail 慈恩寺は唐高宗が母の冥福を祈って建立。大雁塔は唐永徽三年(西暦652年)に建立。慈恩寺の主持玄奘がインドから持ち帰った訳経が納められた。建立当初は5層だったが、以後7層、10層と増築された。高さ59.9m。
千佛鉄塔 Jun. 2002
Qianfotieta
thumbnail 市内から15kmほどの北杜鎮にある鉄塔。方形10層、高さは33mで、鉄を鋳造したもの。各層に窓があり、門は南向き、中は空洞で階段があり上ることができる。塔壁には鋳造された金剛力士像が立ち、各層の周囲に鋳鉄の仏像が数多くあることから、この名となる。
千佛鉄塔 Jun. 2002
Qianfotieta
thumbnail 咸陽駅前から10路バス北杜行きに乗って、北杜鎮の手前で進行方向の左手に塔が見えたら途中下車するとよい。鉄柵の門があるが開いているので勝手に入っても大丈夫。また塔に上っても問題ない。隣の家の人が管理しているのかもしれない。

都市名
  興平市。中心地は東城街道。まず西安から咸陽、興平、馬嵬とバスを乗り継いで楊貴妃の墓へ。こちらは特に苦もなく到着。帰りに茂陵を見に行くが、こちらはだいぶん苦労した。バスに乗って茂陵で降ろしてくれと言うが、どうも茂陵という小さな街があるようで、そこで降ろされる。そこから聞き込みをしながら茂陵へ向かうが、かなり距離があるようだ。畑沿いの道を歩きながら進み、やっと茂陵が見えるところまで来た。しかし、そこから歩けど歩けど着かない。暑くて死にそうになりながらなんとか踏破した。帰りは茂陵博物館の前からバスに乗れたので助かった。ふぅ。(2002年6月)
楊貴妃墓 Jun. 2002
Yangguifei Mu
thumbnail 唐玄宗の寵愛を受けた楊貴妃の墓。天宝十五年(西暦756年)楊一族の専横を除くため安禄山が反乱、長安から逃げる途中、従兄の宰相楊国忠が殺害される。
茂陵 Jun. 2002
Maoling
thumbnail 漢武帝劉徹の陵墓。西漢帝王陵墓では最大規模。武帝即位2年目(紀元前139年)に造成を始め、53年の月日と毎年全国賦税の3分の1をもって完成させた。
楊貴妃墓 Jun. 2002
Yangguifei Mu
thumbnail さらに楊貴妃に死をと迫り、楊貴妃は38年の生涯を閉じる。その後粛宗が、玄宗のかつての密命で墓を遷す。しかしこの墓がもとの墓か、遷された墓かは分かっていない。
茂陵博物館 Jun. 2002
Maoling Bowuguan
thumbnail 茂陵東500m、漢武帝の陪葬墓の一つ。18歳で匈奴へ出征した霍去病の陵墓。元狩六年(紀元前117年)に24歳で病死、葬られる。現在は博物館が併設されている。

都市名
  三原縣。中心地は城関鎮。西安で三原行きのバスを探したが、どうしても見つからない。いつも思うのだが、バスターミナルが多い割にはどの街へ行くバスがあるとかの情報が乏しく、いつも探すのに苦労する。今回は仕方ないので銅川行きに乗って、高速道路の路肩で三原付近で降ろして貰う。ガードレールの向こうにはバイタクが待機している。けっこうこうやって降りる人が多いのかも。(2002年6月)
城隍廟 Jun. 2002
Chenghuangmiao
thumbnail 明洪武八年(西暦1375年)創建。陝西省で最も完全に残る明代建築物。前院廊下の両壁面には宋代名将岳飛の書で諸葛亮の前後出師表が刻まれている。
城隍廟 Jun. 2002
Chenghuangmiao
thumbnail 造りの良さから「殫土木之功、窮造形之巧」と称される。また珍蔵古代字画の宝庫でもあり、清代画家鄭板橋、唐寅の真品など数百幅が収められている。

都市名
  涇陽縣。中心地は涇幹鎮。三原からの帰り道なので寄った。バスは涇陽の中心地に着いたが、崇文塔まではまだ遠い。街中を歩き回ってなんとか崇文行きのかなりボロボロのバスを見つけた。周りは畑ばかりのガタガタ道を走り抜けると塔が見えてきた。(2002年6月)
崇文塔 Jun. 2002
Chongwenta
thumbnail 塔の基にある碑によると、明万暦十九年(西暦1591年)、李世達によって建設が始まった。毎年1層づつ建設され、各層には資金を提供した人の姓が刻まれている。9層目まで建設したところで、李世達は世を去り、その娘が跡を継ぎ、万暦三十三年(西暦1605年)に完成した。
崇文塔 Jun. 2002
Chongwenta
thumbnail 8角13層、高さは79.19m。1層目の各辺の長さは9mもある大きな塔。南側の門には「崇文宝塔」の4文字が刻まれている。各層には4つの窓と4つの佛龕があり、佛龕には明代に彫られた仏の座像、立像が残る。2層目内部には金属で鋳造された仏像が1尊ある。

都市名
  乾縣。中心地は城関鎮。いちど見てみたかった乾陵、まずはバスに乗って乾縣の街まで。街から陵墓までは路線バスがあるらしいのだが、どこを探してもない。仕方ないのでバイクのおっちゃんを捕まえて行くことにする。乾陵までは5元、乗っていくといきなり永泰公主墓で停まる。「先にここを見ろ」と言う。ここはあとで見ようと思っていたのだが。「1カ所寄るごとに2元足してくれ」と言うので、まぁいいかとOKする。そしたらわけの分からない公園などにも寄ろうとする。そんなところは入場拒否だ! もちろんその分の金は払わない。しかしおっさん、商魂たくましいなぁ。(2002年6月)
乾陵 Jun. 2002
Qianling
thumbnail 唐高宗李治と女帝武則天の合葬墓。高宗は文明元年(西暦684年)、武則天は神龍二年(西暦706年)に葬られた。陵の東南には17座の陪葬墓がある。
永泰公主墓 Jun. 2002
Yongtai Gongzhu Mu
thumbnail 唐高宗と武則天の孫娘で、唐中宗の第7女李仙蕙の陵墓。武則天の甥の子、武延基へ嫁いだが、大足元年(西暦701年)、武則天によって殺害される。享年17歳。
章懐太子墓 Jun. 2002
Zhanghuai Taizi Mu
thumbnail 唐高宗と武則天の第2子で、名は李賢。上元二年(西暦675年)太子となったが、調露二年(西暦680年)武則天に廃され、後に自殺を強要され死に至る。
乾陵 Jun. 2002
Qianling
thumbnail 首無しの石像。唐高宗の葬礼に参加した少数民族の首領と外国の使者の像で、61体ある。他にも翼馬や鴕鳥、戴冠し剣を持った将軍の石像なども残る。
永泰公主墓 Jun. 2002
Yongtai Gongzhu Mu
thumbnail 1960年から発掘開始。墓道から墓室まで全長87.5mあり、壁画や唐三彩、石刻、陶磁器、各種金属製の装飾品などが千件あまり出土している。
懿德太子墓 Jun. 2002
Yide Taizi Mu
thumbnail 唐高宗と武則天の孫で、唐中宗の長男李重潤の陵墓。永泰公主と同じく大足元年(西暦701年)、武則天によって殺害される。享年19歳。

都市名
  礼泉縣。中心地は城関鎮。乾縣から帰る途中に寄った。バスの中で江蘇省から出張で来たおっさんと話をしながら、礼泉へ。そこからまた乗り換えて昭陵へ。もうバスを乗り換えるのもお手の物。地図を見ながら行きたい方向へ行くバスを探して、手を挙げて止める、目的地に近づいたら途中下車。(2002年6月)
昭陵博物館 Jun. 2002
Zhaoling Bowuguan
thumbnail 李勣墓。李勣、もとの名は徐世勣、戦功によって太宗から李姓を賜った。太宗李世民との混同を避けるために、名から世を削って李勣となる。墓は数度に渡る盗掘で破壊されたが、近年発掘と修復が行われた。出土品は多くないが貴重な文物が残っていた。
昭陵博物館 Jun. 2002
Zhaoling Bowuguan
thumbnail 昭陵は唐太宗李世民の陵墓なのだが、まだ公開されていない。そのため昭陵の陪葬墓にあった全ての石碑、墓志50数件がここに集められ、展示公開されている。

都市名
  彬縣。中心地は城関鎮。西峰からの帰り道なので寄る。西安から西峰へ行く途中、国道沿いに大佛寺石窟があったのが見えたので、「あ、帰りに寄ろう」と思ったわけである。先に寄った長武から西安方面行きのバスに乗って「大佛寺!」と言うだけ、車掌係のにいちゃんは「なんだ観光か?」とか言ってたな。(2002年7月)
大佛寺石窟 Jun. 2002
Dafosi Shiku
thumbnail 唐貞観三年(西暦629年)に創建。唐太宗李世民がその母慶寿のために建てたので、旧名は慶寿寺と言った。現在、陝西省で最も大きく整った石窟寺となっている。
大佛寺石窟 Jun. 2002
Dafosi Shiku
thumbnail 大仏横の菩薩の立像。大佛窟の両隣には千佛洞と羅漢洞があり、そのほかに8つの窟がある。窟内部には数千に上る仏像が刻まれ、また60余幅の経変故事も彫られている。そのため中国彫刻芸術の宝庫とも称されている。
大佛寺石窟 Jun. 2002
Dafosi Shiku
thumbnail 大佛寺石窟最大の仏像で、高さは24mある。中心部にある大佛窟は窟門が3mほどで、横21m、高さ30mほどの半円形の窟内にはその他に大きな菩薩の立像が2尊、小仏は無数、後光のある仏、菩薩が7尊、飛天が19ある。像のほとんどが北朝代のものとされる。
彬縣塔 Jun. 2002
Binxianta
thumbnail 高さ50m余り、8角7層で中空の楼閣式レンガ塔。内部には階段があり上部まで上ることができる。建てられた年代は不明だったが、修復時に「太宋皇祐五年歳次癸巳秋八月十四日建成銓記」の文字が発見され、宋代の建造だと判った。

都市名
  長武縣。中心地は昭仁鎮。西峰から西安へ帰る途中に寄る。バスを途中下車をしたのだが、ちょっと街から外れた場所で降りてしまった。道ばたに居たじいちゃん達に「昭仁寺はどこ?」と訪ね、歩いて行く。結局、街の西端から東端まで歩くことになってしまった。暑くてすぐに汗だくになる。(2002年7年)
昭仁寺 Jun. 2002
Zhaorensi
thumbnail 唐貞観年間に唐太宗が軍閥の薛挙、薛仁杲の作戦で戦死した将士を記念するために建立された。当時から現存しているのは大雄宝殿のみ。
昭仁寺 Jun. 2002
Zhaorensi
thumbnail 境内には唐代の碑「豳州昭仁寺碑」、虞世南の手筆とされる「朱子奢撰文」で約3000文字が刻まれている碑などが残っている。

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