陝西省宝鶏市
Shanxi sheng Baoji shi
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人口: 約383万人(市轄区143万人)
民族: 漢、回、滿、壮、蒙古など
行政単位: 地級市
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bǎo jī
宝鶏市。(2002年7月)
炎帝祠
Jul. 2002
Yandici
炎帝祠
Jul. 2002
Yandici
釣魚台
Jul. 2002
Diaoyutai
釣魚台
Jul. 2002
Diaoyutai
炎帝陵
Jul. 2002
Yandiling
金台観
Jul. 2002
Jinguantai
大散関
Jul. 2002
Dasanguan
大散関
Jul. 2002
Dasanguan
▲
人口: 約47万人
民族: 漢、回、滿、蒙古、壮など
行政単位: 縣
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qí shān
岐山縣。中心地は鳳鳴鎮。とうとうやって来た、岐山へ。三国志を読んだ人ならこの地名が何を意味するかは分かるはず。蔡家坡のインターチェンジでバスを降り、五丈原方向に向かうバスを待つ。それらしいバスが来たので乗り込む。「五丈原へ行きたいんだけど」と言うと、ちょっと怪訝そうな顔をされた。どうやら五丈原はすぐ近くの街のことらしい。「諸葛廟のあるとこへ行くか」と聞いてみると、どうやら行くらしい。しばらくバスに揺られる。「ここで降りろ、あっちだ」と指を指される。山の上にはそれらしい建物が。なんとか到着することができた。(2002年7月)
ここへ来るのは2回目。扶風で馬援墓を見た後、西安に戻るために蔡家坡まで来た。すぐに帰ろうと思っていたのだが、まだ時間があるので、また諸葛廟まで足を伸ばすことにした。「諸葛廟まで行きたいんだけど」と言ってバスに乗る。しばらく乗ると諸葛廟が見える場所を通り越して行く。「あれ、あそこだろ」と言うと、車掌は「いいから乗ってろ」と言う。バスは終点へ。そして折り返し戻るのだが、方向を変えて山の上へ。なんと諸葛廟まで送ってくれたのだ。山を登るのは大変なので、ありがたいことだ。2度目の諸葛廟、何度来てもいい場所だ。(2005年7月)
諸葛亮廟
Jul. 2002
ZhugeLiang Miao
豁落城遺址
Sep. 2008
Huoluocheng Yizhi
五丈原
Jul. 2002
Wuzhangyuan
諸葛亮衣冠塚
Jul. 2002
ZhugeLiang Yiguanzhong
諸葛亮廟
Sep. 2008
ZhugeLiang Miao
周公廟
Jul. 2002
Zhougongmiao
▲
人口: 約45万人
民族: 漢、回、滿など
行政単位: 縣
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fú fēng
扶風縣。中心地は城関鎮。以前、うちに下宿していた留学生から「西安へ行くなら法門寺へも行かないと」と言われていた。西安へ来ることはあったが、一緒に旅をしていた留学生が「法門寺へは行きにくいから」とここへ来ることができなかった。それから数年経ち、私も一人で旅を出来るようになった。バスの乗り継ぎも何でもできる。ということで法門寺へやって来たのであった。仏舎利が発見されたということで有名になった寺である。まぁ、来てみればどうってことのない道のり。簡単なものである。あの頃はまだ青かったってことだ。(2002年7月)
法門寺
Jul. 2002
Famensi
法門寺
Jul. 2002
Famensi
城隍廟
Jul. 2002
Chenghuangmiao
城隍廟
Jul. 2002
Chenghuangmiao
▲
人口: 約32万人
民族: 漢、回、滿、蒙古など
行政単位: 縣
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méi xiàn
眉縣。中心地は首善鎮。友人の開封太郎さんから聞いて、岐山の五丈原からほど近い古葫芦谷遺址を見にやってきた。もちろん昔のままに残っている訳もないのだが、石碑だけでも立てられているのは嬉しい。諸葛廟も建てられており、中には諸葛亮の像も。その近くの谷間には司馬懿泉なども残っているのだが、草が密生しており見に行くことができなかった。帰りは眉縣のバスターミナルから西安へ向かうことにした。最終バスだったのだが、高速を走るはずのこのバス、乗客が少ないということで普通の道を走ることに。西安までかなり時間がかかってしまった。ここらへんがまだ中国なんだよな。(2008年8月)
古葫芦谷遺址
Aug. 2008
Guhulugu Yizhi
古葫芦谷遺址
Aug. 2008
Guhulugu Yizhi
▲
人口: 約9万人
民族: 漢、回など
行政単位: 縣
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lín yóu
麟游縣。中心地は九成宮鎮。「麟游」何となくいい名前の街だな。ちなみに浙江省には「龍游」がある。扶風で法門寺を見た後、まだ時間があったのでこの街まで来てみた。しかし扶風からのバスは見つからず(ない?)、タクシーに乗って行くことにした。後から気づいたことだが、途中の「益店」という小さな街でバスを乗り換えるといいようだ。さて街に着いた後、九成宮の址を探したがどうも碑があるだけらしい。山中のなんとも寂れた街だな。せっかくなので街から近い慈善寺石窟へバイタクのおっちゃんを捕まえて行く。その後西安へ帰ろうとしたがもうバスがない。なんとか岐山行きのボロバスがあったのでそれに乗って岐山経由で西安に戻ることができた。(2002年7月)
慈善寺石窟
Jun. 2002
Cishansi Shiku
その造形の特徴と縣志の記載から、唐永徽四年(西暦653年)に造成が始まったとされる。2つの窟と5つの摩崖佛龕からなる。写真は北窟の高さ3.5mの佛像3尊。
慈善寺石窟
Jun. 2002
Cishansi Shiku
こちらは石窟から少し離れた川岸にある摩崖佛龕で、方形。内側に佛像が1尊彫られたもの、1佛2弟子2菩薩が彫られたものなどがある。
▲
人口: 約10万人
民族: 漢など
行政単位: 縣
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fèng xiàn
鳳縣。中心地は双石鋪鎮。この街は以前何度か通り過ぎたことがある。山中の小さな街で不便そうだなと感じていた。今回は宝鶏から列車でやってきた。6063次列車、各駅停車だ。時刻表に乗っていない小さな火車站にも停車する。陝西と四川を結ぶこの路線、単線なのだろう。火車站に停まって対向列車をやり過ごす。こっちは各駅停車の列車なので停車時間が長い。約3時間で到着。目的地は連雲寺村にある陳倉古道遺址だ。漢中へ向かうバスが通過するようなのだが、時間の関係でタクることにした。村へはなんなく到着。陳倉古道の石碑は民家の納屋に保管されていた。村から南へ少し行くと陳倉古道なのだが、今回はそこまで行くことが出来なかった。次回、また機会があれば行ってみることにしよう。(2010年10月)
陳倉古道遺址
Oct. 2010
Chencanggudao Yizhi
陳倉古道遺址
Oct. 2010
Chencanggudao Yizhi
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