甘粛省天水市 
Gansu sheng Tianshui shi 
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都市名
  天水市。ここも中国旅行を始めたころから来たかった場所の一つ。到着してまずは宿探し。某ガイドブックに載っていた安めの宿に入ってみると、人気がなく暗い。後からじいさんが来て、何かもごもご言っているが、聞き取れない。「も~らも~ら」あ、「没有了」って言っているのか。そう、その宿はつぶれていたのだ。仕方なく他の安宿を探すが、「外国人はダメ」。結局政府系のホテルになってしまった。でもちゃんと値切る。
  さて次の日、天水の目玉である麦積山へ。バスに乗って行くと車掌が「バス代込み20元くれたら、チケット売り場素通りするよ」と言ってくる。断るとしばらくして今度は運転手が「30元くれたら~」おい、なんで値段が上がるんだよ。断ると、喧嘩になる。チケットを自分で買うと、22元じゃん。車掌は良心的?だけど、運転手はまだぼろうとしてたな。
  実は麦積山、石窟を見るにはさらに金が要る。なんと30元。学割は利くのだが、ここは2人で30元のチケットを買わないとダメなのだ。私は一人、売り場のおばちゃんは「待ってれば誰か来るかも」と言うので待つ。30分くらいすると、なんとか親と一緒に来た学生を一人見つけることができた。やっぱり15元の差は大きいからさ。(2002年7月)

麦積山石窟 Jul. 2002
Maijishan Shiku
thumbnail 高さ150m余り、農家が麦藁を積んだような形をしているところから、この名が付けられた。後秦時代に開窟造像、寺が創建され、西魏文帝は皇后乙弗氏が亡くなったときに、ここへ葬っている。隋文帝は宝塔「敕葬神尼舎利」を建立。頂に現存する塔は清代に再建されたもの。
伏羲廟 Jul. 2002
FuXi Miao
thumbnail 明弘治三年(西暦1490年)に建設、嘉靖三年(西暦1524年)に修復。伝説では伏羲や神農の部落が、渭水の流域、天水にあったとされ、伏羲の故郷として祀られる。
李廣墓 Jul. 2002
LiGuang Mu
thumbnail 漢将軍李廣の衣冠塚。李廣は隴西成紀(現天水市秦安縣)人で、天水の生まれ。騎馬、射撃に優れ、漢の名将と謳われる。匈奴との戦いに40年余り身を預け、70数度の戦いに参戦、匈奴人からは飛将軍と称えられた。
諸葛軍塁 Sep. 2005
Zhugejunlei
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麦積山石窟 Jul. 2002
Maijishan Shiku
thumbnail 蜂巣のように開窟されているが、唐開元二十二年(西暦734年)の地震で中間部分が崩れ落ち、東側と西側に分かれた。現存するのは北魏、西魏、北周、隋、唐、五代、宋、元、明、清各代の194窟。塑像、石彫の仏像が7000余尊、壁画も1300平方メートルが残る。
伏羲廟 Jul. 2002
FuXi Miao
thumbnail 伏羲は中国伝説の三皇五帝の第一皇である。早くから古書で聖人とされている伏羲は半人半神で、丸い目、濃い眉と鬚、体にまとった緑葉が特徴で、古代の原始人の雰囲気が漂っている。また神話では、伏羲の上半身は人間、下半身は蛇だったとされる。
南郭寺 Jul. 2002
Nanguosi
thumbnail 隋代創建の寺院。唐乾元二年(西暦759年)に詩人杜甫がここ秦州を訪れ、「秦州雑詩二十首」のなかで南郭寺を題材として詩を詠んでいる。
諸葛軍塁 Sep. 2005
Zhugejunlei
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都市名
  秦安縣。中心地は興国鎮。(2005年7月)
街亭古戦場 Sep. 2005
Jieting Guzhanchang
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女娲祠 Sep. 2005
Nüwaci
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街亭古戦場 Sep. 2005
Jieting Guzhanchang
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興国寺 Sep. 2005
Xingguosi
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都市名
  甘谷縣。中心地は大像山鎮。さて、せっかく来たのでまず天水郊外へ行くことにした。先に武山へ行って、帰りに甘谷に寄るつもりで朝早く起きてバスターミナルへ行ったが、武山行きも、甘谷行きも見あたらない。仕方ないのでその日は麦積山などへ。その後市内をぶらついていると、ホテル横に小さなバスターミナルを発見、そこから武山、甘谷行きがたくさん出ていた。(2002年7月)
  前回、訪れたときには見られなかった姜維関連の遺跡を見にやってきた。蘭州から列車に乗り、甘谷で下車。荷物を持ったままなので、バスを探すのが面倒になった。バイタクを捉まえて値段交渉。高い。「いらん」と言って断る。しばらくして、また声をかけられる。なんとか妥当な値段を言うようになったので、乗っていくことにした。姜公祠に到着。管理人のおっちゃんの小屋に荷物を置かせてもらい、中を見せてもらう。姜維墓の場所も教えてもらい、見に行った。親切なおっちゃんだった。その後、すぐバスに乗り天水へ。ところが、街を出るところで像が目に入った。「なんだ、あの像は?」。そう姜維像だったのだ。バスを停める訳にもいかず、泣く泣く天水へ。
  天水で数日過ごす。どうしても姜維像が頭を離れずに、もう一度甘谷へ来てしまった。あともう一つ、以前訪れたときにバスの車窓から見た、姜維故里の碑。これも探そうと思ったのだ。雨の中、歩く。目的の物は見つかった。碑の方は以前の記憶とはちょっと違うものだった。もしかしたら新しく建て直したのかもしれない。(2005年9月)

大像山石窟 Sep. 2005
Daxiangshan Shiku
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姜公祠 Sep. 2005
Jianggongci
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華蓋寺石窟 Sep. 2005
Huagaisi Shiku
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大像山石窟 Sep. 2005
Daxiangshan Shiku
thumbnail 大仏は中に石を入れ、泥で造られた塑像。高さは約30m。高さ約40mの佛龕には、清代に修復された楼閣式の窟檐があったが、残っていない。清同治年間の碑文には、宋嘉祐三年(西暦1058年)に開窟とあるが、仏像の形態、装飾などから盛唐の作品ではないかとされる。
姜維墓 Sep. 2005
JiangWei Mu
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姜維像 Sep. 2005
JiangWei Xiang
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都市名
  武山縣。中心地は城関鎮。武山に到着。水簾洞へ行きたいのだが、どうもバスはないようだ。タクシーのおっさんに「水簾洞へ行きたいんやけど」と言うと「今は道が悪いから行けないよ」と断られる。でも行きたいので、諦めずに他のタクシーに頼むとOK。値段もそんなに高くなかったので、レッツゴー。おっさんはすぐに道案内を探していた。「む~そんなとこなのか?」とちょっと不安になった。普通の道が終わると、石だらけの河原を走る、途中からまた工事中の道になった。どうも水簾洞への道を整備しているようだ。(2002年7月)
水簾洞石窟群 Jul. 2002
Shuiliandong Shikuqun
thumbnail 水簾洞石窟。北魏代の壁画約30平方メートルが残り、絵千佛と称される。菩薩殿などの建築物は焼失。水簾洞石窟群は水簾洞、拉梢寺、千佛崖の総称。
水簾洞石窟群 Jul. 2002
Shuiliandong Shikuqun
thumbnail 拉梢寺石窟。大仏の下、蓮台に位置する立像。大仏は蓮台の上に座っており、蓮台の上層には獅子が6、中層には鹿が9、下層には象が9配されている。
龐徳故里 Oct. 2010
PangDe Guli
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水簾洞石窟群 Jul. 2002
Shuiliandong Shikuqun
thumbnail 拉梢寺石窟の遠望。水簾洞の北側に位置し、絶壁に高さ60mに及ぶ大仏など3尊が浮き彫りにされ、その傍らには北周武成元年(西暦559年)の墨書題記が残る。
水簾洞石窟群 Jul. 2002
Shuiliandong Shikuqun
thumbnail 中間の大仏の両脇には、脇侍菩薩が手に蓮の枝を携え、頭を垂れて立っている。浮彫の表面には薄く彩色されており、衣紋、顔料の保存状態もよく、非常に鮮やか。
木梯寺石窟 Oct. 2010
Mutisi Shiku
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