麦積山石窟 Jul. 2002
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Maijishan Shiku
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高さ150m余り、農家が麦藁を積んだような形をしているところから、この名が付けられた。後秦時代に開窟造像、寺が創建され、西魏文帝は皇后乙弗氏が亡くなったときに、ここへ葬っている。隋文帝は宝塔「敕葬神尼舎利」を建立。頂に現存する塔は清代に再建されたもの。
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伏羲廟 Jul. 2002
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FuXi Miao
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明弘治三年(西暦1490年)に建設、嘉靖三年(西暦1524年)に修復。伝説では伏羲や神農の部落が、渭水の流域、天水にあったとされ、伏羲の故郷として祀られる。
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李廣墓 Jul. 2002
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LiGuang Mu
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漢将軍李廣の衣冠塚。李廣は隴西成紀(現天水市秦安縣)人で、天水の生まれ。騎馬、射撃に優れ、漢の名将と謳われる。匈奴との戦いに40年余り身を預け、70数度の戦いに参戦、匈奴人からは飛将軍と称えられた。
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諸葛軍塁 Sep. 2005
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Zhugejunlei
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麦積山石窟 Jul. 2002
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Maijishan Shiku
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蜂巣のように開窟されているが、唐開元二十二年(西暦734年)の地震で中間部分が崩れ落ち、東側と西側に分かれた。現存するのは北魏、西魏、北周、隋、唐、五代、宋、元、明、清各代の194窟。塑像、石彫の仏像が7000余尊、壁画も1300平方メートルが残る。
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伏羲廟 Jul. 2002
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FuXi Miao
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伏羲は中国伝説の三皇五帝の第一皇である。早くから古書で聖人とされている伏羲は半人半神で、丸い目、濃い眉と鬚、体にまとった緑葉が特徴で、古代の原始人の雰囲気が漂っている。また神話では、伏羲の上半身は人間、下半身は蛇だったとされる。
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南郭寺 Jul. 2002
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Nanguosi
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隋代創建の寺院。唐乾元二年(西暦759年)に詩人杜甫がここ秦州を訪れ、「秦州雑詩二十首」のなかで南郭寺を題材として詩を詠んでいる。
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諸葛軍塁 Sep. 2005
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Zhugejunlei
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