街の入り口 Aug. 1996
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Qu chengqu de lu
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飛行場から街へ向かう道、荒涼とした風景が続ているが、この門を越えていくともうすぐ敦煌の街である。
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莫高窟 Aug. 1996
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Mogaoku
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千佛洞とも呼ばれる。鳴沙山東麓の断崖い上下5層、南北1600mにわたって彫られた石窟。現存するのは北魏代から元代にかけての492窟、壁画45000平方メートル、塑像2415体。内部は写真が撮れないので見たい人は行くしかない。
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鳴沙山 Aug. 1996
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Mingshashan
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東西40km、南北20kmにわたり広がる。古代ここで宿営した兵馬が、暴風で一夜のうちに埋没し、後に鼓角の音が聞こえることから鳴沙と呼ばれるようになったとされる。
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鳴沙山 Aug. 2003
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Mingshashan
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夕暮れの鳴沙山。満月の日にはとても明るい月が砂山の向こうから昇ってくる。砂山の上まで登るのはかなり大変だ。ラクダに乗ったりして見て回ることもできる。風が強い日にはカメラに注意が必要。細かい砂が中に入り込み、動かなくなってしまうことが多い。
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玉門関 Aug. 1996
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Yumenguan
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ここから和闐玉(和田玉)を中原へ運んだことから、玉門関と呼ばれるようになった。古代シルクロード北道の重要な中継点。高さ9.7mの関が古代の姿をそのまま残している。
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西晋墓 Aug. 2003
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Xijinmu
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佛爺廟湾の古代墓。1993年から敦煌飛行場を建設時に発掘された。墓内の壁画やレンガには、神禽霊獣に代表される神話伝説類、歴史人物類、動植物類など、当時の世俗や生活などが描かれている。酒泉や嘉峪関でも発掘された、魏晋十六国時代の壁画墓の同列のものと思われる。
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月牙泉 Aug. 1996
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Yueyaquan
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鳴沙山の北麓にある泉。三日月形の泉は水草が茂り、底が見るほど澄んでいる。また鉄背魚という魚が生息している。近年だんだんと水量が減少してきているという。
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沙州故城 Aug. 1996
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Shazhou Gucheng
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古くからシルクロードの重要な街として栄える。ここから西へ向かう道が南北に分かれ、南は陽関、北は玉門関へでる。沙州の由来は鳴沙山の名から。
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西千佛洞 Aug. 2003
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Xiqianfodong
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莫高窟を組成する一部分とされる。現存する窟は22窟、党河畔に北朝晩期から隋、唐、五代、宋代初期、西夏にわたって開鑿された。塑像53尊と色鮮やかな壁画が残る。洪水の影響でほとんどの洞窟は半分ほどしか残っていない。第9窟、西魏代の中心柱など、修復されていない原作が残っている部分も少なくない。
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墩墩山烽燧 Aug. 2003
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Dundunshan Fengsui
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陽関は銅矢尻、五銖銭、陶器片など漢代の文物が大量に出土した古董灘にあり、玉門関の南にあることから、その名がつく。古代シルクロード南道の重要な中継点だった。陽関はすでに現存していない。北側の墩墩山上に烽台が残っているだけである。
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河倉城 Aug. 2003
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Hecangcheng
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大方盤城とも呼ばれる。漢代に建設され、魏晋代まで西部防衛のために軍の兵糧を蓄えた場所。幅40mほどの倉庫が3つ連なり、壁には通風のために三角形の小窓が設けられていた。
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漢代長城 Aug. 2003
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Handai Changcheng
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玉門関の西から疏勒河の南岸に沿い、安西縣北湖、金塔縣まで延びる漢代長城。玉門関付近が最も保存状態がよい。植物に砂を挟んで積み上げたもので、最も高いところで4mほど。
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