甘粛省平凉市 
Gansu sheng Pingliang shi 
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都市名
  涇川縣。中心地は城関鎮。西峰で北石窟寺を見たので、南石窟寺も見なければと思い、ここ涇川へ向かう。街から数キロ手前で南石窟寺の標識があったので、そこでバスを降りる。そこから橋を渡るが、どう行けばいいか分からず、地元の人に聞く。方向は分かったが、どれだけ歩いても着かない。また人を探すために道を戻ると、自転車に乗った青年が向かってきたので道を聞いた。すると南石窟寺の方へ行くから、一緒に歩いてくれると言う。彼はこのあたりに住んでいるらしい。彼の家の前まで着くと「ここからもうちょっと歩いたとこだよ」と教えてくれた。すごく親切な青年だった。
  その後、羅漢洞石窟へ。これも探すのに一苦労。重い荷物を担ぎ歩き回って、地元の人に聞いてなんとかたどり着いた。さて、羅漢洞石窟から街へ戻るためにバスを待っているとき、雨が降り出した。でもバスは来ない。仕方なく街の方へ向かって歩き出すと、目の前で車が一台停まった。「どこへ行くんだ?」と言ってくる。街まではまだかなりの距離がある、歩くのは大変。「いくら?」と聞くと、「金なんか要らないよ。雨が降ってるんだ、街までだろう、乗せてってやるよ」と。
  街へ着いた後、ホテルへ。ここへ来る外国人はほとんどいないのだろう。ホテルの受付のお姉ちゃんに「日本人だよ」と言ったが、日本のことを知らなかった。街をプラプラと歩く。美味しそうな麺の屋台があったので、食べる。すると一人のおっさんが話しかけてきた。「君は旅行者かい? これからどこへ行くんだ?」。話をすると「それじゃ、こことここを回って、こう行くといいよ」とかいろいろと教えてくれた。この街の人たちは親切な人が多いなと感じる。小さな街に残る人情味、この街へ来たことがすごくよかったと感じた。(2002年7月)

南石窟寺 Jul. 2002
Nanshikusi
thumbnail 慶陽の北石窟寺から1年遅れて、北魏永平三年(西暦510年)、涇州刺史奚康生によって開窟された。そのため主窟である1号窟は北石窟寺165号窟とよく似ている。
羅漢洞石窟 Jul. 2002
Luohandong Shiku
thumbnail 主窟に残る四角柱は窟の天井に接している。柱の面には、泥が塗って浮彫にし、彩色した天王像が残る。主窟の中心部分は高さ1m、幅2mほどの石壇になっており、宋代の風格がある。また東西の窟には同じく浮彫に彩色した壁画が約10平方メートル残っている。
王母宮石窟 Jul. 2002
Wangmugong Shiku
thumbnail 王母宮石窟の外部、入口に建てられた3層の楼閣。涇川縣の西、涇河と汭河の交わる場所の山中にある。山上には金大安三年(西暦1211年)に鋳造された鉄の鐘が残る。伝説では周の穆王が8回訪れたとされ、周穆王祠などの建物も建築されている。
南石窟寺 Jul. 2002
Nanshikusi
thumbnail 窟の頂部分には仏教故事「樹下誕生」「夜半逾城」「宮中游戯」などの浮彫が残っている。外側の佛龕は北魏、唐中期晩期のもの。北石窟寺に比べると状態は悪い。
羅漢洞石窟 Jul. 2002
Luohandong Shiku
thumbnail 石窟入口部分に残る仏像。北魏代の立像で高さは約6m。長さ600mの岩壁に上下2層、約40の窟がある。入口部分以外の仏像はほとんど残っておらず、他の窟内には清代と民国代の墨壁画、詩文、題記などが残る。
王母宮石窟 Jul. 2002
Wangmugong Shiku
thumbnail 北魏永平三年(西暦510年)に開窟され、長方形の窟内には、中央に方形の柱が天井まで貫き、柱も窟壁も上に行くほど狭くなっている。石彫りの仏像が3層にわたっているが、上部の物は脱落して破損しており、現存の仏像は約100尊。

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